Hiro坊母とのお別れ
新年最初の記事にするにはちょっと寂しいお話になってしまうので、
昨年の日付に遡って書かせていただきます。
12月22日、Hiro坊母が亡くなりました。
その4日前に病院に会いに行き、そのときはとても穏やかで、
これからたくさん会いに行こうと思っていると書いたばかりだったのに、
思ってもみないことでした。
その日の朝9時すぎ、母の容態が急変したと病院から連絡がありました。
到着までの時間を聞かれ、答えると「間に合わないかもしれません」とも。
長い一日になると思い、準備をしてワン達を連れて急いで向かいました。
やはり間に合いませんでした。
でも肌ツヤツヤでとてもきれいな顔のHiro坊母。
穏やかに旅立ったんだなぁと思えました。
その日病院では早めのクリスマスとして、療法士サンタさんと看護師トナカイさんが
患者さんひとりひとりのベッドを回って、笑顔で一緒に記念写真を撮っていました。
サンタ&トナカイのおふたりは旅立ったばかりのHiro坊母の枕元にも来て、
名前を呼んで話しかけてくれました。
私達が会えずにいた間も、こうして温かい看護をしてもらっていたんですね
病棟看護師長さんは明るくパワフルで、いつもこちらが元気をいただけました。
看護師さん達はみな優しく細やかな配慮をしてくださり、心が落ち着きました。
病院を後にするときには、先生と看護師さん数人が見送ってくださいました。
話すこともできない母に心を寄せて看護してくださった皆様に感謝を述べると、
師長さんからは「いつもお手紙をありがとうございました。励まされました」と。
そんなやりとりをするうち、自然と涙声になっていました
介護期間中もそうでしたが、母はいつも人に恵まれていたと思います。
ケアマネさん、ヘルパーさん、デイサービスのスタッフさんにも
本当に良くしていただきました。
10年間の介護生活と1年9ヶ月の入院生活、いろいろなことが思い出されました。
そこからは葬儀に向けてのあれこれです。
年末の忙しいときでしたが、27~28日と年内の日程で決まりホッとしました。
このご時世なので家族葬。
ただ母の兄弟姉妹で唯一元気な末の叔母にだけは来ていただきました。
ちなみに母は9人兄弟姉妹(すごい!)の真ん中です。
祭壇は母の好きな色を中心に、花いっぱい華やかに飾っていただき、
ご菩提寺の住職さんからは母にぴったりの柔らかな素敵な戒名をいただきました。
棺もデザインされた淡いピンクのものに。
私の母の頃にもこんな素敵なのがあったらよかったのになぁと思ったりして
なんかワンズのお見送り並みに華やかでしょう
Hiro坊姉家族、叔母家族、私達だけの小さな式でしたが、
ゆっくりと温かなお見送りができたと思います。
「母は精一杯生きて幸せだったと思うので、どうか笑顔で送ってあげてください」
Hiro坊の喪主挨拶に、逆にみんな涙してしまいましたが
今Hiro坊母には我が家でゆっくりしてもらっています。
リフォーム時に用意した母の部屋で、日々お供えし遺影に向かってお話しています。
遺影は90歳のお誕生日を一緒にお祝いしたときのものにしました。
この翌年の誕生日にはもう倒れてしまっていたので、最後の元気な写真。
もう少し若い頃の写真にしようかとも思ったのですが、結果的にはよかったです。
私達にとってはいちばん最後まで見ていた見慣れた穏やかな母の顔。
好きだった薄紫色の服を着て、お祝いのイチゴケーキを持ち、控えめに笑った
Hiro坊母の写真を見ると、実家で穏やかに座っていた姿を思い出します
私達は10年間の介護で、できることは精一杯してきたつもりです。
そこに心残りはなく、今はすっきり心穏やかです。
10年というその期間は、Hiro坊母にとっても私達にとっても、
とても濃くて、大切な時間だったと思います。
92歳まで頑張ってその時間を私達にくれたHiro坊母に感謝です
お母さん、今までありがとうございました
お礼を伝えたいことはいっぱいありますが、私にとってのいちばんは、
Hiro坊を産んで育ててくれたことだと思っています
最近のコメント