四十九日法要
少し前後しますが・・・
2月初めにHiro坊母の四十九日法要を行いました。
年末年始を挟んだこともあって、ここまであっという間でした。
我が家にいる間は後祭壇といわれる形で整えていたのですが、そこに供えるものも今はろいろといいものがあるんですね。
この大きな綺麗なろうそく風のもは、電池をセットするLEDろうそく
点けると上の火の部分がいい感じにゆらゆら・・・
本物のろうそくだと火をつけたまま放置することはできませんが、これならずっと灯しておいても心配ありません。
だから夜の間も、出かけるときも灯していました。
そうすると寂しくない感じがして、こちらの気持ちが楽だったかな
四十九日法要当日は、後祭壇から白木のお位牌とHiro坊母のお骨を持って、
「じゃぁお母さん、お父さんに会いに行きましょう」
菩提寺ではまず本堂で四十九日法要をしていただき、
その後、墓前に行って納骨のお経をあげていただきました。
Hiro坊父のときはまだお墓ができていなかったので、
納骨はお墓ができた百か日のときでした。
このときは親族にも大勢来ていただき、その後の会食も賑やかでした。
そのぶん私達も準備が大変だったけど
でも今回はHiro坊姉家族と私達のみの全5人。
もちろんコロナ禍だからではありますが、
父のときから17年、以前来ていただいた方の多くは既に他界されているので、
コロナでなくてもこれに近い形になったかと思います。
納骨の際、Hiro坊父の骨壺にも17年ぶりに対面。
そうそう、大理石の骨壺だったっけ。
綺麗で立派だからいいと思って選んだんだけど、ひとつ難点が・・・重い~
とにかく重かった!まぁよく考えてみればそうよね、大理石だから。
母に持ってもらうには重くて危ないので、Hro坊が抱えていたっけなぁ
・・・などと思い出しながら、その父の隣に母が並ぶのをみんなで見守りました。
母は淡いピンクの綺麗な骨壺。もちろん普通の重さのものです
ここで一瞬脱線しますが・・・
この家紋、抱き沢瀉(だきおもだか)といって水辺の花オモダカだそうですが、
なんだか手を広げた宇宙人のように見えるのは私だけ?
さて戻って、この白木のお位牌は1年間こうして墓前に置いておくそうです。
今はこんなに白くてきれいだけど、段々と色が変わっていくんですね。
お墓の前でHiro坊姉達といろいろな話。
母のこと、父のこと、自分達の近況など、話は尽きません。
これから家の整理などもあるので、またそのときにお話したいものです。
納骨が終わり、我が家には後祭壇に代わってお仏壇がきました。
これまでお仏壇にあった父のお位牌は一旦お寺に預け、
新たに母の名も並んで入ったものになって戻ってきました。
ということで、我が家にはお仏壇がふたつになりました。
長男長女が結婚した場合、必然的にこうなります
私の母はそれを見越して小さいお仏壇にしてくれていたので、それは感謝
Hiro坊家のは一回り大きいけど、それでもわりと小さめ。
こんなふうに言っていいのかわかりませんが、
今どきの住宅事情ではどちらもありがたいことです
各種事務手続きや、寒中お見舞い、四十九日法要、お香典返しと
直近の一連のことが終了し、今少しホッとしています。
といってもまだ家という大きなことが残ってますが
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