プチ旅 鹿島神宮
旅の続き。今回は鹿島神宮です。
実は記事を書くにあたっては、鹿島神宮の公式サイトも参考にさせていただいてきたのですが、その中で新たに追加された部分があることに気づきました。
新型コロナに関連する内容です。
今は皆がいろいろな形でコロナと闘っています。それをここでも感じました。
これに関してはいちばん最後に紹介しています。
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スイーツ等を堪能した(前の記事)あとは、更に南下して鹿島神宮へ。
鹿島神宮は全国にある鹿島神宮の総本社で東では随一の古社。
香取神宮、息栖(いきす)神社とともに東国三社と呼ばれます。
御祭神の武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)は、天照大御神の命を受けて降臨し、
大国主命と話し合って国譲りの交渉をまとめ、日本の建国に尽くしました。
鹿島神宮の歴史は皇紀元年(紀元前660年)初代天皇の神武天皇まで遡ります。
神武天皇が東国征伐で窮地に立たされたとき、タケミカヅチが授けた剣「韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)」 の神威に救われたことにより、これに感謝した神武天皇が即位の年に大神を祀る社を建てたと伝えられています。
そのタケミカヅチが武神、剣神、軍神と言われ強かったことから、
鹿島神宮は武道の神様を祀った必勝祈願の神社として知られています。
大鳥居をくぐり参道を進むと、左手前に手水舎、その奥に楼門があります。
楼門は日本三大楼門のひとつで重要文化財。
ちなみに他ふたつは福岡の筥崎宮(はこざきぐう)、熊本の阿蘇神社。
この楼門は水戸徳川初代藩主の頼房公により奉納されたものです。
中央の「鹿島神宮」の扁額については軍人として有名な東郷平八郎の書ということなので、結構新しいんですね。
こちらは拝殿。参道を歩いてきた右手にあります。
拝殿の後ろに幣殿、石の間、本殿があります。
これら4棟の社殿は、徳川2代将軍秀忠公の寄進によるもので、
重要文化財に指定されています。
こちらが本殿。
とても色鮮やかです。
本殿のすぐ背後にすっと立つ大きな木が御神木。樹齢1300年を数えます。
拝殿前には少し前に結婚式を挙げたばかりの新郎新婦が出てきて、
観光客の写真依頼に応えていました。お幸せに
拝殿の向かい側に建つのが仮殿。
現在の社殿を造る際、まず神様を旧本殿(現在の奥宮)からこの仮殿に安置し、
そのうえで旧本殿を移動し、その跡地に社殿を造営したそうです。
こちらも秀忠公の奉納。
その先に続く奥参道は木々が生い茂る静かな空間。
森林浴をしながらゆっくり歩きました。
こちらは君が代に出てくる「さざれ石」
君が代に出てくるさざれ石は「細石」と書き、細かい石、小石のこと。
小石がくっついて岩の塊になることは科学的な事象ですが、
それが集まって大きな巌となり、苔が生えるまでと長い年月を謳う君が代。
「さざれ石」が見られるところは各地に何か所があるようです。
そのすぐ近くには鹿園もあります。
鹿島神宮にとって鹿は大切な存在。
鹿島神宮の御祭神タケミカヅチに国造りの命を出したのは天照大神ですが、
そのときの使者が鹿の神霊だったといわれています。
鹿園にはたくさんの鹿(少なくとも20頭くらいはいたかな)がいましたが、
中の1頭が中心にスクッと立ってこちらを見ていました。
なんかすごく威厳を感じるじゃありませんか~!
角もまさに鹿島アントラーズのデザインのようで美しい
神の使いということを感じさせてくれる1頭でした。
そして更に先にあるのが奥宮。
こちらは鹿島神宮に祈願の後、関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康公が
勝利のお礼として1605年に奉納したもので、現在の本殿の位置に
本宮として建てられました。
その後1617年に現在の本殿が建てられる際、この場所に曳いて移されました。
後ろ側から見た奥宮。
色鮮やかな本殿と比べて質素な佇まいですが、それだけに心が落ち着く感じがします。こちらも国の重要文化財です。
こちらは要石。
昔は大ナマズが地震を起こすとされ、それを押さえていたのが要石です。
どんな大きな石かなと思って見たのですが、そんな大きな石は見えず・・・
それもそのはず。説明版を読んで納得!
要石は地中に埋まっているのです。見ているのはほんの頭の部分だけ。
この要石がどこまで深く埋まっているか確かめようとした徳川光圀公が、
7日7晩にわたって掘らせたものの、辿り着くことができなかったといわれています。
その先の坂を下りた先にあるのが御手洗池(みたらしいけ)。
昔はここで身を清めてから参拝したそうで、この名が残っています。
湧き水豊富で澄んだ水には鯉も。ザリガニもいたっけ。
戻る途中で出会った鳥シロハラ。
ツグミと体型や大きさは同じくらいだけど色合いはちょっと地味。
茂みの中を歩き回ることが多く、いつもガサガサ音がするので気づきます。
楼門の前まで戻ってきました。
門の隙間から、傾きかけの日差しのなかの鳥居が見えました。
大変な歴史のある鹿島神宮。
まだまだ小さなお社など足を止められなかったところもありますし、
宝物館も休館中(境内整備のため平成30年より)だったので、
またいつかあらためて訪れてみたいものです
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尚、冒頭に書きましたが、記事を書くにあたっては鹿島神宮の公式サイトも参考にさせていただき、何度も見てきました。
その中で新たに追加された部分があることに気づきました。
それは御祭神タケミカヅチとその剣に関する部分です。
「昨今の新型コロナ感染症の拡大により不安や心配が高まる中、少しでも崇敬される皆様の力となりますよう、この神剣についてご紹介させていただきます。」
の文章に続き、内容が詳しく書かれています。
以下は私が抜粋及び要約したので短いですが・・・
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鹿島神宮の始まり、初代の神武天皇が東征の際に窮地に陥ったのは、悪い疫病によって兵士達が倒れたこともひとつでした。
この窮地を救ったのが、タケミカヅチが授けた剣「韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)」で、剣の持つ力により疫病から兵士も回復し、その後を有利に進められ、天皇に即位するに至りました。
この剣は代々大切に祀られたのち、その後奈良県の石上(いそのかみ)神宮の神体山に埋納され祀られています。
そして現在の鹿島神宮にも2.7メートルを超える長い剣が保管されており、
国内最古最大の剣として国宝に指定されています。
これが2代目「韴霊剣」と解釈され、「神の剣」として大切にされています。
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疫病をも鎮める力も持った剣の話から、コロナの収束を願う気持ちが伝わってきます。
そして最後は以下の文章で締めくくられていました。
「昨今の新型コロナウイルス感染症の拡大により、政府からは緊急事態宣言が発令され、我が国は重大な局面に立たされています。皆様におかれましては政府や地方自治体、あるいは医療機関等の発する情報をよく確認し、防除対策に励行いただきますよう併せてお願い申し上げます。
このコロナ禍が国民全体の不断の努力で収束し、鹿島の大神様のご加護により皆様が平穏無事な生活が送れますよう切に願っております。」
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